院長ブログ

四つ葉のクローバー
宇都宮市竹林、よつばハートクリニック院長のブログ

壮大な物語

0

    患者をどうやって搬送するかを検討するための会議が開かれた。病院からは医師・看護師・事務系の職員、それに市からは消防担当者、県の防災担当者。かなり大勢。患者の生命を維持するための機器が多すぎ、また大きすぎ、通常の救急車で運ぶのは難しかった。旧い大きな救急車もあるらしかったが、電源の問題でダメだった。県の防災ヘリは小さすぎて救急車より更に厳しかった。自分で調べて東京消防庁のヘリだと載りそうなことが判ったので、提案してみた。 ‘前例はあるの?’ と県の誰かが訊いた。 ‘ありません。’  別の誰かが答えた。‘あっ、ない?じゃあダメだ。’ くそっ、前例なんか最初に誰かが作らなきゃある訳ないじゃないかと思ったが黙っていた。陸上自衛隊のヘリコプターであれば、県知事が災害派遣要請をするという形で呼べるとのことだった▼自衛隊のヘリコプターでこういうのを運ぶのに適しているのは、素人の私でも想像がつく。水平のローターが前後で2つ回っている(タンデムローターというらしい)あれだ。ところが今度は大きすぎて病院のヘリポートに降りられないとのことだった。学校の校庭とかでは遠すぎるし・・・。結局職員駐車場に着陸させるという私の提案が採用されることになった▼今度は自衛官と折衝。とんでもないことだった。凄い風圧だからちょっとやそっとのスペースではだめらしい。その駐車場を使用している全員に公共交通機関での出勤を命じて、大勢で小さな石を拾って。それでも実際道を挟んだ隣の駐車場の車が石で何台か傷ついたし、リアスポイラーが飛んだ車もあったそうだ。他にも知らなくて驚いたのは雨だと飛べないとか、上空で患者が亡くなれば国土交通省の航空事故調査委員会の管轄になるとか▼集中治療室から出てヘリに積み込むのも大変だったし、エンジンが始動してから飛ぶまでも相当長く感じた。東京の着陸地は世田谷区三宿の自衛隊中央病院。まだ建って日の浅かったこの病院の屋上のヘリポートは大きくて、このサイズのヘリコプターも着陸できるのだった。そこから東大病院までは東京消防庁の大型救急車。着いたら医師とその他のスタッフが大勢で迎えてくれて引き継ぎ。こっちは基本的に自分と部下の2人の医者で診ていたものだから、彼我の体制の差異を痛感した。事前のやり取りも充分だったので、申し送ることもあまり無くて、呆気なく病院を出た。患者も家族もこれから大変だろうが、こちらとしては後はお願いして祈るしかない。自分の体に何か大きな穴がぽっかり開いたような感じがした▼手伝ってくれた皆と軽く食事をして、上野駅まで歩いた。不忍池の畔で桜が満開だった。このひと月半というものスピーチを頼まれていた知人の結婚式に唯一度出席した以外は、殆ど病院で過ごしていた。引き続き生死の境を彷徨うであろう患者を思うと、桜の樹の周りで楽しそうにしている人々とのコントラストが眩しかった。(続く)

     


    壮大な物語

    0

      以前から楽しみにしていた講演会を医師会館に聴きに行った。演者は東京都健康長寿医療センターの許俊鋭先生。「心臓の老化と心不全について〜高齢者心不全治療への展望〜」という題だった。許先生は永く日本の人工心臓や心臓移植の分野を牽引してこられた方で、しかしお話は心臓にとどまらず遺伝子や人口動態(2007年生まれの日本人の50%は107歳まで生きる?!という推計)など多岐に渡り、全く飽きない内容だった。そして話は人工心臓に。もうすぐ日本にも補助人工心臓のdestination therapyの時代がやって来ると言うのである。これには少し解説が必要であろう▼海外では全置換型と言って、本人の心臓を取り除いて完全に置き換える人工心臓があるが、日本にはまだない。補助人工心臓はあくまで非常に弱った心臓をアシストする機器である。これとて日本ではbridge to transplantationつまり移植までの橋渡しとしての使用しか許されておらず、移植待機患者としてエントリーできない高齢者は対象にならない。これに対してdestination therapyとは ‘最終目的地としての治療’ とでも言えば判りやすいだろうか。もう離脱することを期待しないで一生補助人工心臓と共に生きていくということである。欧米ではこのdestination therapyが既に普通のことになっていて、80歳を過ぎててもやるそうである。そして日本でももう治験の取り纏めの段階まで来ている。先生曰く日本の透析患者は33万人居るのに対して腎移植は年間1600人ほど。そしてこの末期腎不全と対比させて、同じようなことが末期心不全でも行われていくようになると言うのである▼ちょっと待って欲しい。年間20万人が心不全で亡くなるこの国で、片っ端から補助人工心臓を入れる騒ぎになったら医療費はどうなるのか。最後に質問に立ってその点を訊いた。ご自分がアメリカに留学したころ、電話は1分間で何千円もした。今やLINEでどんな子供でも世界のどことでも無料で通話ができる。自動車だって昔は個人で所有するのは限られていたが、今では栃木県の皆さんは一家で3台というのも珍しくないだろう。透析も当初は非常に高価な治療だった。そのように技術が進歩し更に普及することで必ずコストは下がるものであるというのが答えだった▼話は突然9年半前に遡る。当時済生会宇都宮病院にいた私は2月の終わりに劇症型心筋炎の23歳の男性患者を受け持った。ウイルスが原因と考えられ、風邪や胃腸炎のような症状で始まって、運悪く心臓に炎症が及ぶと突如として心臓のポンプ機能が悪化したり不整脈が起きたりしてしばしば死に至る比較的稀な疾患である。私が見た時は既に重篤な心不全を来しており、その日の内にPCPS(経皮的心肺補助装置;短時間で比較的簡便に入れられる人工心肺)を装着せざるを得なかった。こうなると勝負は通常数日から1週間である。その間に心臓が回復してPCPSから離脱するか、PCPSを着けていることの負担が募って死亡するかのどちらかだ。ところがこの時はそのどちらでもなかった。PCPSの回路の寿命が来る度に交換し、様々な合併症と戦いながら、しかし心臓は動かなかった。動いているけど動いてなかった。辛うじて心電図は出ているが、超音波で見ると微かに揺れているという程度だった。私は殆ど病院に ‘住んでいる’ ような状態で、家にはただ着替えに帰るだけの生活が続いた▼40日ほど経ったある日、合併症の嵐が少し和らいだような感じがした。もう4月だった。心臓は相変わらず動いてなかった。補助人工心臓を着けて移植待機に持ち込むしかないと考えたが、当時県内には実施施設がなかった。東京大学に連絡した。四六時中そういう相談が持ち込まれるらしく、ベッドに限りがあるのかあまり色よい感じではなかった。何度かやり取りをしたように思う。突然今から患者を見に行くという連絡が入った。来たのは当時東大病院にいた許先生だった。あの許先生が来たというので周りの医者が騒いでいた。許先生は診察して自分でエコーをあてて、引き受けてくれることになった。車で来たというので駐車場まで見送りに出た。一人で運転して来たらしい。車がHONDA Fitだったことに優れた外科医の合理性を見たような気がして妙に感動した。与えられた期日は4月6日の1日だけだった。その日に搬送できなければ、そのベッドは別の患者のものになるらしかった。(続く)


      ブラックペアン

      0

        医師になってからというもの、医療モノのドラマはほとんど見ない。理由は2つある。1つは仕事が終わった感じがしなくて気持ちが休まらないということで、これはノンフィクションでもそうだ。もう1つは、こっちの方が大きいが、殆どのドラマがリアリティーを欠いていることにある。奉行が主役の時代劇があったが、実際に奉行がコソ泥を裁くということはなかったそうであるし、刑事ものでもそうそう街中で拳銃をぶっ放すということは現実には無いわけであり、それがテレビドラマだと言ってしまえばそれまでのことだが▼さてこのところ娘がニノくんかっこいーと騒いでいて、なんだと思ったら ‘ブラックペアン’ という外科医が主人公のドラマをやっているとのことであった。誘われたのでラス前と最終回の2週に亘って家族と一緒に視聴した。案の定、突っ込みどころは30秒に1回ぐらいの頻度で出てくるが、言ったら嫌われるので言いっこナシである。ニヤニヤ笑ってみているしかない。そもそも病院というところはこんなに美男美女ばっかりいるわけもないし、手術するときはもっと血だらけになるものである。そういえば時代劇でも切られても血が出ない描写が多いが▼カエサルという名前で手術支援ロボットが登場したが、実際にda Vinciという1台2億5千万円ぐらいする器械があって、日本全国にももう既に300台弱ぐらいあるそうである。ドラマでは緊急手術をロボットを用いてやっていたが、予定手術を低侵襲つまり最小の傷口でというのが通常の使用方法だ。そもそもの開発のきっかけは戦場の負傷者を遠隔で手術するためにアメリカ軍が依頼したというものらしいから、一方的に荒唐無稽だと言うわけにもいかないが▼この春の診療報酬改定から心臓の手術についてもda Vinciによる手術が保険適応になった。尤も可能な施設は限られていて、今回のドラマの監修としてクレジットされていたニューハート・ワタナベ国際病院の渡邊剛医師が第一人者だ。何人か紹介して手術してもらったことがある(da Vinciでも)。病院のネーミングセンスが不思議な感じだが(ご自分の役職も ‘総長’ となっている)、皆さん術後経過は良い▼原作を書いたのは医師とのことである。勿論読んでないが、それにしてもこのペアンである。この使用方法が一番不思議だし現実離れしていると思ったのは私だけではないだろう。仮にありえたとしても、緊急事態の応急手当としてそういう処置をしたのなら、正直にその事実を患者とその家族に対して詳らかにするとともに、再手術の方法とスケジュールを提案すべきである。最後の最後まで突っ込みどころ満載であったが、教授が若い医師に向かって言った「そのままでいい、普通でいい。医者は患者のことだけ考えろ。救え、ただ人を救え。」というセリフだけは響いた。


        藤井七段

        0

          小学校に上がった頃のことだっただろうか、父から将棋の手解きを受けた。父とやったり母方の祖父とやったり、或いは学校で級友となど、暫くは熱心にやったと思う。しかし壁に突き当たって、強くなるには本で定跡を勉強しなければだめだといわれて、本を買ってもらったが、面倒くさくなって止めてしまった。そう言うと医師としての姿勢を疑われかねないが、何かを本で読んでやり方を勉強するというのは昔も今もあまり好きではない。いい加減な人間である▼その後大人になってからも日曜の午前のテレビ対局とか新聞の将棋欄なんかを見るのは好きだった。もちろんプロがやっているレベルの将棋が解るわけも訳もないので、自分でも不思議なことだった。自分で将棋を指すわけでもないくせにそういうのを見ているというのもなんだか気恥ずかしくて、誰かが来たらチャンネルを変えてしまったりしていた▼空前の将棋ブームである。そして私みたいに自分で将棋を指さないが観るのは好きな人のことを指す「観る将(みるしょう)」という言葉があるそうだ。考えてみればプロ野球やJリーグを観る人が全て野球やサッカーをするわけではないし、オーケストラの音楽を聴く人が必ず何か楽器の経験があるわけでもなかろう。フィギュアスケートなんてやったことある人はかなり少ないだろうし、6種類あるジャンプを見て区別できる人もそんなに多くないだろう。もちろん解説を聞かなければどんなにすごい手が指されたのか解らないので必須である▼昨日将棋の藤井聡太棋士が史上最年少で七段になった。15歳である。将棋のルールすら知らない人までが ‘すごいねー、すごいっ!’ と言っている。確かに段位というのは素人目に分かりやすいのだろう。昇段規定は時代とともに変わっているので単純な比較はできないと思うのだが▼終局と同時に大勢の記者が ‘どどどーっ’ と入ってきて質問を浴びせる。‘今年の初めはまだ四段だったわけですが、こんなに早く七段になった感想は?’  ‘七段になった喜びをまず最初に誰に伝えたいですか?’  ‘これで師匠の杉本七段と並びましたがお気持ちは?’ 。あり得ない仮定だが高校1年生の頃の私がこの状況にあったら、答えは決まっている。‘別に・・・・・’ ▼本屋に行くと「藤井本」が山積みになっていて、一体どういう教育をするとああいう子供が育つのかといった内容のものが多いように思う。インタビューに出てくる言葉も凄い。「望外」「僥倖」「茫洋」などなど。そんな子供が居たら息が詰まるだろうし、家でリラックスできないと思うのは私だけだろうか。


          人生は二度ある

          0

            急性心不全や急性心筋梗塞など重大な疾患で入院して一命を取り留めて、今外来通院をして下さっている患者さんから、お蔭で第二の人生を楽しく歩めている旨お言葉を頂くことが時々ある。嬉しい限りであるが、しかし助けられなかった人も大勢いるし、助かっても重い後遺障害の残るケースや職を失うケースも多くあり、手放しで喜んでばかりもいられない。心疾患などで見た目は五体満足なのに巡り合わせで退職を余儀なくされることもあり、経済的にも困窮したりして明るい話ばかりではない。しかしどうか前向きに生きて頂きたいものである▼井上陽水のかなり昔の歌に ‘人生が二度あれば’ と言うのがあった。年老いた両親を見て、苦労ばかりして余り良いことが無かった人生でかわいそうだ(と息子が勝手に思っている)と言うことを歌った暗い調子の歌だ。基本的に人生取り返しのつかないことだらけである。‘もうちょっと勉強しておけばよかった’ などと言うのはよく聞く話だが、しかし今からでも遅くないと言うのも常に言えることであろう。自分の事で言えば英語と歴史(日本史・世界史)だ。私の世代で学校で習った英語は実用的では全くなかった。振り返ってみても英語を話せない人に英語を習っていた疑いが強い。病院勤務時代、外国人の患者が来たりしたら帰国子女の研修医なんかを呼び出して通訳してもらっていた。特にイギリス人とアメリカ人の英語は早くてよく判らない(泣)▼歴史も教科書で無理やり暗記させられた感がある。子供の勉強を見てやったりしてると、改めてこういうことだったのかと思うことがある。江戸時代に伊能忠敬(1745-1818, 享年74歳)という人がいた。年譜を見て、‘えっ?’と思った。歴史上最初のまともな日本地図を描いたこの人物は、50歳で隠居してから暦や天文学を習い、最初に測量を始めたのは56歳だというのだ。地図の完成は死後3年を経てからだとしても、当時の平均寿命を考えれば随分と年を取ってから思い切ったことをやり始めたものだ▼国語の問題文ではファーブルのことが出ていた。この『昆虫記』で有名なフランス人がその第1巻を執筆・刊行したのは、なんと55歳ごろのことだそうである。実は52歳でクリニックを開業したのは遅すぎたかなと思っていたのだが、なんだか少し自信が湧いてきた▼今日再診で来院された患者さんからお手紙を頂いた。ご自分の病気のことが長く綴られていて、要するにこのクリニックに掛かって前向きに生きられるようになって良かったということが書かれていた。そして最後に ‘永遠に生きるかのように夢を持ち、今日で終わるかのように精一杯生きること’ とあった。そこまで精一杯になりすぎてもなんだか怖いが、夢を持って前向きに生きることは良いことだと思った。


            固定観念

            0

              平昌オリンピックが閉幕した。4年に一度の祭典はやはり色々な驚きに満ちている。残念な結果に終わった葛西選手だったが、団体戦が終わった直後のインタビューで、4年後の北京への課題を口にしていた。オイ、マダデルツモリカ。もう終わったと思ていたスピードスケートにもう1試合あって、どちらかと言うと妹より注目度の低かったお姉ちゃんのほうが2個目の金を取ったのにも驚いた。マススタートッテナンダ?▼しかし一番驚いたのはチェコのエステル・レデツカ。この22歳の女性はオリンピック史上初のスノーボードとスキーの両方にエントリーした選手であった。どちらかと言うと得意なのはスノーボードで、スキーではW杯の表彰台に立ったことはなかった。しかし平昌ではまず行われたアルペン・スーパー大回転で26番スタートからまさかの金メダル。雪面が荒れる関係でシード選手から滑っていくアルペンでは、遅いスタートの選手が勝つことは殆ど起こり得ない。勝ったつもりで待っていたオーストリアの選手は0.01秒差で2位に落ちて呆然としていたが、トップに立った本人が一番びっくりしていた。‘No. Must be some mistakes.’ そしてこっちは本命だったスノーボードのパラレル大回転でも金▼この選手14歳の時にコーチにどちらか一つに絞るように言われて、それならコーチを換えるまでだと答えたそうである。我らが二刀流、大谷翔平選手もプロ入り当初から老害プロ野球OB達から両方は無理だと散々言われてきた。この期に及んでまだ言っている奴もいる。ダレガデキナイッテキメタンダ?関係ないが小1だった長女が漢字で書けるはずの言葉をひらがなで書いていたから問い質したら、習ってない漢字は書くなと先生に言われたというのを今急に思い出して腹が立ってきた。いつの世も下らない大人は居るものである▼医療の世界でも画期的な治療法というのは非常識とされる中から生まれてくる。1929年自らの血管を使ってカテーテルを心臓まで進めたドイツのフォルスマンと言う医師(泌尿器科の医師である。使用したのは尿道用のカテーテル)はその廉で狂人扱いを受け病院を解雇された。その後1956年のある日、突然ノーベル賞受賞の知らせが届くまでを失意の中、田舎で開業医として生活した。今やカテーテルによる画像診断やそれを介しての血管内治療は多くの人の命を救っている▼最近当クリニックの2人の高齢重症大動脈弁狭窄症の患者が、立て続けに東京の病院でTAVI「タビ」経カテーテル大動脈弁留置術を受けて来た。狭くなった大動脈弁にカテーテルを介してステントに埋め込まれた人工弁を植え込む手技である。狭くなった僧帽弁をバルーンによって拡げる方法(イノウエバルーン)は以前からあった。若かりし頃、何故大動脈弁では出来ないのか先輩医師に訊いたことがある。大動脈弁でバルーンを膨らますと左心室の圧が高まりすぎて破裂する・縦しんば拡がったところでまたすぐ狭窄するというのが答えだった。日本人はダメだということを教えるのには長けている。だから2002年にフランスで最初に行われたTAVIのレポートを最初に見た時、非常に驚いた。速い速度でペーシングして止まっている心臓に対して行ったのと似た状態にして行うということと、折りたたんだ人工弁を植え込むということでこの2つの問題を解決していた▼この方法の日本での保険償還は2013年とかなり遅かったが、それから4年余りにして既に完成された技術だ。実際に2人とその家族の感想は何れも思ったより時間が短く簡単だったとのことだった。これまで開心術に適さない多くの高齢大動脈弁狭窄症患者を失って来たので隔世の感がある。若者は、医学の進歩は、可能性に満ち溢れている。今更そういうものを目指す歳でもないが、足を引っ張る存在にだけはなりたくないものである。

               


              インフルエンザ狂騒曲

              0

                振替休日の月曜日、宇都宮市夜間休日診療所で日中診療をした。医師会を通じて下りてくる仕事で、開業医の義務みたいなものだ。去年の7月に19時30分から23時30分までやって、その時はそんなに忙しくなかった。今回は9時から17時と言う話だったので、お昼ご飯は外に食べに出られるのかな?などと舐めたことを考えていた。着いてみると既に受け付けは黒山の人だかり。えっ、なにそれ?▼中に入ると看護師が、なんでも昨日は日勤帯は270人だか280人だか来たんだと言う。大半がインフルエンザかその疑いの患者らしい。大変なところへ来たと思うのもつかの間、次から次へと患者がやってくる。ナニナニ、フムフム、ソレハインフルエンザカモシレマセンネェ。ケンサシマスカ?ゴキボウ?カンゴシサン、オネガイシマス。エッ?ボクガヤルノ?。そう、あの例の細長い綿棒で鼻をグリグリやるやつ。心優しいうちのクリニックのスタッフは院長にそんなことをさせたりしないのだが、如何せんここでは数が多すぎて、看護師は検査キットをやりくりするだけで精一杯だ。自分のクリニックには滅多にインフルエンザの患者が来ないので、ただただ驚きである。しばらくやってみるとインフルエンザの検査を希望しない人など全くいないことに気付く。ハイ、イツカラ?キノウカラ?ヒダリムイテアゴアゲテ、ハイ、グリグリグリ。5フンデデルカラソトデマッテテネ。流れ作業である▼ハイ、Bデシタ。アナタハA。オオ、メズラシイ、A・Bリョウホウデテイル。5日間朝晩飲む飲み薬と5日間朝晩吸入するやつと今吸入してそれで終わりという3種類の中から選んでもらう。どれが一番早く治るかって? サァ?▼特に発症から時間が経っていない場合、陰性だからと言って違うとは限らないのが問題だ。だからそれなりの症状があって周囲にそういう状況があれば陰性でもインフルエンザとして処方するという考えもあるが、それなら検査などしなければよいような気もする。どうしても確かめたければ明日またお近くで検査してもらって下さいという説明も必要。どう見たって軽症で、もちろんそんな中にも陽性になる人もいるが、陰性だと知ると喜んで薬ももらわずに帰る人も多い。インフルエンザかどうか調べてこいと言う社会的圧力があるのだろう。そう言えば時々書かされる治癒証明書というのも変な話だ。インフルエンザが治っているかどうか、どうして見ただけで判断がつくというのか。更にはインフルエンザであれば学校を休んでも皆勤賞に影響しないというのも変だ。インフルエンザを他のウイルスによるかぜ症候群と区別する特段の理由がわからない▼最後に1台救急車を送り出して時計を見たら19時を少し回っていた。4人の医師で350人超を診たんだそうである。こういう時のスピードには自信があるから100人以上は診ていたと思う。インフルエンザの検査をしなかったのは10人いただろうか。終わった後クリニックで仕事を少し片付けようと思っていたが、さすがにそんな気力はもう残っていなかった。家に帰ってアルコール消毒だと称して酒を飲んだら少しピッチが速すぎたらしい。テレビを見ていた筈だったが、気が付いたら床で潰れて寝ていて高梨沙羅は2本目を飛んだ後だった。


                幸福の理論

                0

                  物理学者アルバート・アインシュタインは講演のため日本に向かう船上でノーベル賞受賞の知らせを受けた。日本に着くと盛大な歓迎を受け、予定より多くの講演をこなしたとある。1922年のことだ。滞在した東京・帝国ホテルでチップの持ち合わせがなかったためか日本人ベルボーイにチップ代わりにメモを渡しこう言ったという。「運が良ければ、これは普通のチップよりも価値あるものになるかもしれない」▼昨年3月、日本人の父とドイツ人の母の間に生まれた35歳の男性がハンブルクの自宅で引っ越し作業をしていて、食器棚の引き出しの中から黄変した封筒を見つけた。中には古い紙片。ホテルのメモ用紙にドイツ語でこう書かれていた。《静かで質素な生活は、絶え間ない不安にかられながら成功を追い求めるより、多くの喜びをもたらす》。件のベルボーイの妹の孫にあたるこの男性は、自分が持っていて劣化してしまうよりもと昨年10月競売にかけた。数千ドルにはなるだろうと思っていたらしいが、あっという間に吊り上がり156万ドルで落札された。天才が日本人ベルボーイにドイツ語で、どういう意図でそのようなことを書き記したのかは判然としないが、まさか95年後にオークションにかかることを見越していたのだろうか。相対性理論(Theory of Relativity)の提唱者が幸福を相対化しているところが面白い▼この間行ったスキー場は日本人より海外の人の方が多かった。皆3-4週間ぐらいの予定で来ているのだそうである。幸せとは何であろうか。もちろん人から必要とされること・働くことも幸せである。しかし大事なことはwork-life balanceなのだろう。日本人は単純に働き過ぎというよりはこのバランスが取れていないのだろう▼先日、元いた病院のOB会(正確にはOBと現役医師の交流会)に出席した。そこにいたOBとしては私は若い方から数えて2番目で、25年前にこの病院に来た時既にOBだった方もおいでで、眩暈のするようなレジェンドたちである。何の偶然か複数の方々から同じようなことを言われた。「君、働き過ぎちゃいかんぞ」と。そんなことを言ってくださったうちの1人、80歳を過ぎた外科医は、しかしまだ現役で手術室に入っている。今シーズンはもう2回スキーにも行ったそうである。釣りもゴルフもする。最早人知を超えた世界だ▼今国会の焦点の一つは「働き方改革」だそうである。社会が大きく変わるには残念なことに何か事件が必要なのかもしれない。飲酒運転が社会的にも厳罰化されるようになり、交通事故死は減って町の自動車修理工場も仕事が減ったのは2006年福岡の海の中道の事故が転換点だったと記憶している。今回もし制度が改善されて良い方向に向かうとしたら、2015年の電通社員の過労自殺がそう記憶されるだろう。しかし裁量労働の問題や教員や医師など特殊な職業にどう適用していくかなど問題は山積している。開業して1年半、自分でも意外なことに労働時間は明らかに増加した。絶え間ない不安にかられている自分がいる。一体何を追い求めているのだろう▼メモはもう1枚あって、《意志あるところに道は開ける》とありこちらは24万ドルだったそうだ。アインシュタインが言った言葉としては普通過ぎたのかもしれない。


                  あけましておめでとうございます

                  0

                    新年あけましておめでとうございます。クリニックを開業して2回目の正月を迎えました。より多くの患者様のお役に立てるよう、より一層努力してまいります所存にございますので、何れも様におかれましては、本年もどうぞよろしくお願い申し上げ奉ります。ブログの更新も全く滞ってしまっていて申し訳ございません。もう20年もお会いしていないような遠方の方からの年賀状に「ブログ楽しみにしています」とあり、これではいけないと思いました▼さて、正月早々家族を連れてちょっとだけスキーに行って来ました。一人しか医者がいないクリニックの院長がスキーなぞして、怪我でもしたらどうするんだというご批判もあるだろうことは承知しておりますが、子供たちに雪を見せたいと思いまして。やはりこういうスポーツは子供の時に体験しておくに限ります。小さい子ほどあっという間に滑れるようになります▼かく言う私は、学生時代に友人に連れられて行って1回で懲りて、その後病院に勤めだしてから職員旅行で行くようになりました。子供ができる前の一時期、四駆にキャリアを付けて狂ったように通っていたことがあり、1シーズンに22日!と言うのがピークでした。随分ヒマな病院に勤めていたと思われてしまうかも知れませんが、休みと言う休みは12月から4月までほぼ滑っていたように記憶しています。しかし、大人になってから始めたのではやはりコブ斜面をスイスイとまでは行かないものです▼今回のスキーは実に7年ぶりで、2011年の3月あの大震災の直前に岩手で滑ったのが最後でした。ですから私にとっても家族にとっても本当に久しぶりで、一番下の子は完全に初めてでした。驚いたことが2つ。1つは意外に覚えていて、思ってたより滑れるものだということ。2つ目は、しかしそれが30分ぐらいしか続かず、あっという間に足が言うことをきかなくなったこと。スキーとは要するにリフトやゴンドラで得た位置エネルギーを力学エネルギーに変換してスピードとスリルを楽しむものです。そのままだと速度超過で最終的に何かに激突しますから全て足で受け止めてスピードを殺さなければならない訳です。学生時代に1度懲りたのも、止まり方をよく教わらずに滑って、ゲレンデが終わっても止まらずに道を渡って店先に突っ込んだからでした。そして位置エネルギーは質量に比例するので体重が重い私は大変で、一番下の子はスクールに入れるや否やあっという間に滑れるようになって、しかも軽いので疲れない訳です。さんざん付き合わされた挙句、最後に‘パパも意外に滑れるんだね’と言われてしまいました。今年は患者さんに言ってばかりでないで、自分でも少し鍛えて痩せなければなりません。この子らともう何年かスキーを楽しむために。


                    安定剤と導入剤と睡眠薬と

                    0

                      医者が普通によく処方する薬の中で絶対に手を出さないほうがよい(と私が思う)薬があるというと驚かれるだろうか。ベンゾジアゼピンという一群の薬である。アルプラゾラム(ソラナックス)、エチゾラム(デパス)、ロラゼパム(ワイパックス)などの抗不安薬やブロチゾラム(レンドルミン)、トリアゾラム(ハルシオン)などの睡眠薬(いずれもカッコ内は商品名)がこれに含まれる。一般名では〜ゾラム、〜ゼパムと付くことが多いが、そうでない場合もあるから注意が必要である。懺悔しなければいけないが、自分もかなり以前の一時期には時々処方した。今思えば安直に過ぎたと思う。何がいけないのか▼第一に依存性つまり離脱症状の強さである。長く使用すればするほどその度合いは増す傾向にある。抗不安薬としての使用では中断により焦燥感や不安感が増大し、とにかくそれ無しではいられないのである。また睡眠薬としても無いと眠れなくなるのである。上述した薬剤名はほとんど短時間で効果を発揮するものばかりであるが、一般にそうした短時間作用型のものほど依存性も離脱症状も強い。第二にみんな当然のように運転しているのだが、いずれも添付文書上運転を禁じられているものばかりである。というと睡眠薬としての使用であれば飲んだら寝るので問題ないように思われるかもしれないが、重要な基本的注意として必ず「本剤の影響が翌朝以後に及び、眠気、注意力・集中力・反射運動能力等の低下が起こることがあるので、自動車の運転等の危険を伴う機械の操作に従事させないよう注意すること」と書かれている。実際に内服中や内服した翌日の事故率上昇やブレーキに対するレスポンスの悪さ、車線をトレースする能力の低下などを示すデータは多数出ている。第三に死亡率の上昇である。肺炎特に誤嚥性肺炎の発病率が高まるし、転倒骨折して寝たきりになる確率も高まる。また認知機能の低下とも関連を裏付けるデータもある。睡眠時無呼吸があれば当然悪化する▼だが何よりも常用量依存といって通常の量を2週間とか比較的短期間内服しただけで明らかにおかしくなってしまう人がいる。内服を継続していても離脱症状が出て、増量や他剤の併用を余儀なくされるのである。当然何かのきっかけで内服が開始されたのであろうが、どうやっても元の自分に全く戻れなくなってしまうのである。こういった様子は‘Benzo Case Japan’というサイトに詳しい。日本でふとしたきっかけでベンゾジアゼピンを処方されて大変な思いをしたニュージーランド人が運営しているものである。少し読みづらい日本語ではあるが立派なものだ。精読すると臨床医の端くれとして思い当たる節がたくさんある▼クリニックを開業してこの方というもの動悸や胸部不快を訴えて、ベンゾジアゼピンの依存症と思われる方が多数来院された。そして止めさせよう、止めて頂こうといろいろ試みたが、最終的には皆来院されなくなってしまった。恐らく安直にこれら薬剤を処方してくれる元のクリニックか他の医療機関へと移っていったものと思われる。止めさせ方が少し性急だったかもしれないとも反省もしているが。この業界に入ると同業者を批判してはならないと先輩や同業者から色々忠告や警告を受けるが、声を大にして言わなければならない。お笑いコンビの片割れがこの類の薬を3つ(運転禁忌・運転禁忌・運転注意の3つである)飲んで運転して捕まったのは記憶に新しい。記事によると初めて飲んだみたいなことが書いてあったが、初診の患者にこれら3つをいきなり同時に出すなどということは到底ありえないと思うのだが本当だろうか。本当だとしたら一体患者を何だと思っているのであろうか。



                      calendar

                      S M T W T F S
                       123456
                      78910111213
                      14151617181920
                      21222324252627
                      28293031   
                      << October 2018 >>

                      selected entries

                      archives

                      profile

                      search this site.

                      others